この記事では、岩⼿県にある平泉(ひらいずみ)が世界遺産に登録された理由と、構成資産についてまとめています。
• そもそもどうして世界遺産に登録されているの?
• 平泉に観光に⾏く前に知識として歴史を知っておきたい
• 藤原⽒との関係は?
このような疑問に答えていきます。
⽇本⼈の死⽣観形成に⼤きな影響を及ぼしたとされている「浄⼟思想」。その思想を形として表現した平泉は、藤原清衡をはじめとする奥州藤原⽒3代によって⽣み出されました。
それぞれの建築物に込められた意味や平泉をつくった藤原⽒の思いとは⼀体どのようなものだったのでしょうか。
そこで今回は、「平泉が世界遺産に登録された理由は?構成資産の特徴もご紹介!」と題しご紹介していきます。
平泉が世界遺産に登録された理由は?構成資産の特徴もご紹介!
平泉が世界遺産に登録された主な理由は2つあります。
理由①仏教が「浄土思想」として独自の発展を遂げた
6世紀に中国、朝鮮半島を経由して伝わってきた仏教は、⽇本古来の⾃然崇拝と融合し独⾃の発展を遂げました。
平泉は、12世紀の末法思想の広がりとともに興隆した浄⼟思想における仏国⼟(浄⼟)を、空間的に表現することを⽬指し築かれました。
※末法思想・・・時が経つにつれ釈迦が説いた仏教の正しい教えが衰滅するという考え⽅
理由②日本人の死生観の形成に重要な役割を果たしている
平泉の造成において重要な役割を持っていた浄⼟思想は、12世紀における⽇本⼈の死⽣観の形成に重要な役割を果たし、世界でも類を⾒ない仏国⼟(浄⼟)を空間的に表現した建物や庭園などに直接的に反映されています。
現在もこの「浄⼟」という思想は、⽇本⼈の儀礼や地域の祭礼・⾏事の中などに確実に継承され⾵⼟として根付いています。
平泉の構成資産の特徴をご紹介!
浄⼟思想の中で⼈間が死後にたどり着く場所と考えられていた浄⼟を、⾃然の地形や、寺院、庭園設計など⽇本独⾃の空間造形を⽣かしながら再現した景観が平泉です。
藤原清衡(きよひら)をはじめとする奥州藤原⽒3代によって⽣み出された平泉は、⾦鶏⼭を含む5つの資産から構成されています。以下で順番に説明していきます。
中尊寺(ちゅうそんじ)
1105年に、平泉へと都を移した清衡が造営した寺院で、1124年にはその境内に⻩⾦堂を建⽴し、1126年に主要な堂塔が完成しました。
その際、清衡は「東北地⽅で続いた戦乱で亡くなった⼈の霊を敵味⽅なく慰め、浄⼟へ導くとともに、『みちのく』といわれ辺境とされた東北地⽅に、仏国⼟(浄⼟:仏の教えによる平和な理想社会)を建設したい」という趣旨の供養願⽂を読み上げたと伝えられています。
金色堂(こんじきどう)
1124年に清衡が中尊寺境内の北⻄側に建⽴した阿弥陀堂で、中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯⼀の建造物です。
堂内の内陣には藤原3代の遺体と、4代泰衡の⾸級(討ち取られた⾸)が安置されています。
毛越寺(もうつうじ)
慈覚⼤師円仁が開⼭し、2代基衡が造営した寺院で、度重なる災禍により現在はほとんどの建造物が失われていますが、かつては、堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。
現在、⽑越寺は薬師如来の仏国⼟を表す浄⼟庭園と平安時代の伽藍遺構(がらんいこう:僧侶が集まり修⾏する清浄な場所)がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の⼆重指定を受けています。
観自在王院跡(かんじざいおういんあと)
2代基衡の妻によって建⽴された寺院です。⽑越寺の東に隣接して広がる境内にあった伽藍は1573年に焼失しています。
⼤⼩⼆棟の阿弥陀堂跡が林⽴していた庭園は、舞鶴池を中⼼とする浄⼟庭園で、背後の⾦鶏⼭と⼀体となった景観によって阿弥陀如来の極楽浄⼟を表現しています。
無量光院跡(むりょうこういんあと)
3代秀衡が、宇治の平等院鳳凰堂をモデルにして建⽴した寺院の跡です。
建物の中⼼線は⻄の⾦鶏⼭と結ばれていて、東側から⻄側の仏堂を望むと、年に2回、4⽉と8⽉に仏堂背後の⾦鶏⼭⼭頂に⼣⽇が落ち、建物全体が光輝くように⾒えます。
この極楽浄⼟を想起させるかのような計算しつくされた造りは『浄⼟庭園の最⾼傑作』として世界遺産委員会の⾼い評価を得ました。
金鶏山(きんけいさん)
中尊寺と⽑越寺のほぼ中間に位置する標⾼98.6mの円錐状の⼭です。古くから⽅位を⽰す⽬印とされ、居館などを築く際にその位置関係が重視されました。
頂上には経塚があり、「平泉を守るため⻩⾦の鶏を埋めた」「北上川まで⼈夫を並べ、⼀晩で築いた⼭」などの伝説が残っています。
中尊寺と⽑越寺のほぼ中間に位置する標⾼98.6mの円錐状の⼭です。古くから⽅位を⽰す⽬印とされ、居館などを築く際にその位置関係が重視されました。
頂上には経塚があり、「平泉を守るため⻩⾦の鶏を埋めた」「北上川まで⼈夫を並べ、⼀晩で築いた⼭」などの伝説が残っています。
まとめ
ここまで、「平泉が世界遺産に登録された理由は?構成資産の特徴もご紹介!」と題しご紹介してきました。
今から900年ほど前に藤原⽒が極楽浄⼟への思いを馳せて建⽴した平泉は、時を超えてもなお多くの⽇本⼈の⼼に宿る「思想」として受け継がれています。
歴史を知った上で、平泉に訪れてみてはいかがでしょうか。
それでは今回は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございました。