ル・コルビュジエの建築作品が世界遺産に登録された理由と歴史

この記事では、パリを拠点に活躍した建築家ル・コルビュジエの建築作品が1つの世界遺産として登録された理由と彼の足跡についてまとめています。

• ル・コルビュジエって何者?
• 日本との関係は?
• どんな建築作品が評価されて世界遺産に登録されたの?

このような疑問に答えていきます。

20世紀を代表する建築家であるル・コルビュジエの建築作品はフランスやドイツ、日本を含む7カ国に点在しており、それら全てが1つの世界遺産として2016年に登録されました。

構成資産が複数の大陸にまたがる「トランス・コンチネンタル・サイト」として、世界初の登録でした。

20世紀の建築や都市計画に大きな影響を与えたと評される彼の建築デザインとは一体どのようなものだったのでしょうか。

そこで今回は「ル・コルビュジエの建築作品が世界遺産に登録された理由と歴史」と題しご紹介していきます。

ル・コルビュジエの建築作品が世界遺産に登録された理由

ル・コルビュジエの建築作品が世界遺産に登録された理由は3つです。以下で順番にご説明していきます。

理由①人類の創造的才能を示す傑作である

ル・コルビュジエの建築作品は、人類の創造的才能を示す傑作であり、建築及び社会における20世紀の根源的な諸課題に対して際立った答えを与えていると評価されました。

これは、世界遺産登録基準の(ⅰ)人類の創造的資質や人間の才能を示す遺産に該当しています。

理由②地球規模での価値交流が行われている

ル・コルビュジエの建築作品は、近代建築運動の誕生と発展に関連して、半世紀以上にわたる地球規模での人的価値の交流という、前例のない事象を示しています。

彼は他に例を見ない先駆的なやり方で、過去と決別した新しい建築的言語を開発することで、建築に革命を起こしました。

ル・コルビュジエの建築作品が4大陸において与えた地球規模の影響は、建築史上例のないものと絶大な評価を得ました。

これは、世界遺産登録基準の(ⅱ)文化の価値観の相互交流を示す遺産に該当しています。

理由③「近代建築運動」の思想と密接に結びついている

ル・コルビュジエの作品は、「近代建築運動」という顕著な普遍的価値を有する思想と直接的かつ物質的に関連しています。

彼の作品は、建築的言語を刷新し、建築技術の近代化を促すと同時に、近代人の社会的・人間的欲求への答えでもあると評されました。

これは、世界遺産登録基準の(ⅵ)人類の歴史上の出来事や伝統、宗教、芸術などと強く結びつく遺産に該当しています。

これら3つの理由からも、ル・コルビュジエが近代建築の概念に大きな影響を与えたことが分かりますね!

ル・コルビュジエの建築作品の特徴

次に、ル・コルビュジエの建築作品に特徴的な手法やデザインについて見ていきましょう。

ル・コルビュジエは合理的、機能的で明晰なデザインを追求し、20世紀の建築や都市計画に多大な影響を与えてきました。

彼は「近代建築の五原則」や「モデュロール」、「ドミノ・システム」など、近代建築の基礎となる重要な概念を次々と打ち出し、過去の伝統的な建築からの決別を図ったのです。

特に「ピロティ、水平連続窓、屋上庭園、自由な平面、自由なファサード」からなる「近代の五原則」は世界的に大きな影響を与えたとされています。

この「近代建築の五原則」の完成形ともいえるのが、1928年に設計された「サヴォワ邸」です。

五原則の1つ「ピロティ」とは、フランス語で「杭」を意味する言葉で、「サヴォワ邸」のように建物の1階部分の柱で建物を支えることで、空中に浮いたような軽やかな印象を与えます。

西洋建築では従来、壁によって建物を支えてきましたがル・コルビュジエは発想を転換し、柱によって床面を支える建築構造を推進しました。

これによって壁の面積を減らすことができ、デザインの自由性が高まり、水平連続窓や自由な平面などが可能となったのです。

ピロティは東京の「国立西洋美術館」でも見ることができます。「国立西洋美術館」には「無限成長美術館」という概念が用いられています。

これは、美術館を訪れた客が、中心から渦巻状に移動しながら展示室を鑑賞するだけでなく、将来的に展示作品が増えれば螺旋状に展示室を外側に増設して広げていくことが考えられていたためです。

また、美術館としては珍しく、自然光を取り込むための窓や照明ギャラリーが作られました。

さすが世界遺産に登録された建築作品なだけあって、着眼点や発想全てにおいて驚かされま
すね!

ル・コルビュジエの歴史と日本との関わり

ル・コルビュジエは1887年にスイスのラ・ショー・ド・フォンで生まれ、父親の家業である時計製造の仕事を継ぐため、美術学校で彫刻や彫金を学びました。

しかし、視力が非常に弱く時計職人として重大なハンデを背負っていた彼は、別の道を模索する中で、在学していた美術学校の校長からの勧めで建築を学び始めます。

こうしてル・コルビュジエは建築家としての人生の一歩を踏み出したのでした。

1917年には活動の拠点をフランスのパリに移し、数々の建築作品を造り上げ、世界中に名を馳せました。ル・コルビュジエのアトリエには世界中から建築を志す多くの者が訪れたといいます。

日本からも前川國男、坂倉準三、吉阪隆正の3人が「日本の3大弟子」として日本の近代建築に大きな功績を残しました。

「国立西洋美術館」は実業家であった松方幸次郎が20世紀初頭にヨーロッパで買い付けた美術作品群、「松方コレクション」を展示するために1959年に建てられました。

ル・コルビュジエが基本設計を行い、前川國男と坂倉準三、吉阪隆正の3人の弟子が実施設計を担当しています。

設計を依頼されたル・コルビュジエは1955年に8日間日本に滞在し建設予定地などを視察、その後、パリに戻り設計図を書き上げましたしかし、その設計図には建築に必要な数値が全く書かれていなかったため、前川國男、坂倉準三、吉阪隆正らが図面をもとにして、建設のための実施設計を行なったのです。

今から半世紀以上前の建築作品にも関わらず、洗練されていて美しいと思わせる設計技術を当時の日本で再現したなんてすごいですよね。

まとめ

これまで「ル・コルビュジエの建築作品が世界遺産に登録された理由と歴史」と題しご紹介してきました。

これまでの伝統的な建築様式に縛られない逆転の発想の数々には驚きです。世界中に点在しているル・コルビュジエの建築作品を巡ってみたくなりますね!

これを機に、まずは都内にある「国立西洋美術館」に訪れてみてはいかがでしょうか。

それでは今回は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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